25巻 海外レポート-1

【25巻 海外レポート】

 

多文化主義の旗の下に

 

日本学術振興会海外特別研究員
Research Institute of Sport and Exercise Sciences
Liverpool John Moores University
相澤 清香

 

 被服衛生学部会会報の「海外レポート」の執筆を依頼され、快諾をしたものの、暫し腕組みをしながら「さて何を書こう」と考え込んでしまった。実際同じような状況に置かれた者全て同じ悩みを抱えるのであろうが、私の場合、どうやら時期が悪かったようだ。「海外レポート」として諸外国の研究者との夢のような交流記を書ければよいのであろうが、長期在外研究もカナダに次いで2度目、イギリスでの生活も1年半に及んでくると、どうも肯定的ばかりに物事を捉えることが難しくなってくる。やたらとイギリスの『粗が見えてくる』という状況だ。ただイギリスの研究事情を淡々とお伝えするのも何かにお役に立つかもしれないと考え直すことにした。社会情勢を知っていただくために少し研究から遠ざかった話題にも触れるが、我々のような外国人研究者が置かれた立場を正しく理解していただくためにお許しいただきたい。

 

 先月行われた総選挙においてブレア首相率いる労働党は辛くも勝利したが、大幅に議席数を減らすことになったことは日本でも大きく報じられたのではないだろうか。この選挙において隠れた争点になったのは移民問題で、そもそも野党の党首が思わず口を滑らしたことが発端となり、当初はその発言が人道的見地から問題視されたものの、国民の予想外の支持に受けて、選挙戦後半では野党の党首が挙ってブレア政権の寛容すぎると思える移民政策を非難するようになった。国際多文化主義と人道主義を基本概念に掲げるイギリスのこと、移民排斥を謳うような急進論は表立って聞かれなかったものの、野党の大躍進は結果として移民の急増を快く思わないイギリス国民の真意をそのまま反映することとなった。

 

 この問題の背景は実に根深い。戦後の経済拡大に伴い、50年代より旧イギリス連邦各国から底辺労働力として移民を受け入れたものの、70年代に入り経済の低迷と高失業率とを背景として移民の流入を制限するようになった。しかし既に移民が定住化の動きを見せており、一族郎党を次々にイギリスに呼び寄せるため、イギリスは恒常的な移民の増加を避けられない状態に陥ることになってしまった。これに加え、近年では外国為替市場における異常なポンド高を背景に、アフリカや中東諸国、中国から大量の経済移民が押し寄せている。この殆どが不法入国であり、イギリス政府が把握しているだけも毎年数万人単位で増え続けている。更に昨年の東欧諸国のEU加盟に伴い、イギリス政府の予想を遥かに超える出稼ぎ労働者が押し寄せることになった。こちらは合法的な滞在であるため、入国管理局も完全にお手上げ状態である。

 

 さて、増え続ける移民に対して業を煮やしたイギリス政府が何をしたか。もっとも手っ取り早い方法であるが、ビザの延長費用をこの4月から引き上げた。入国管理局本部に直接書類を郵送した場合でも7万円、国内に4箇所ある支部に直接赴いた場合は10万円もの申請費用を請求される。航空運賃よりも高い申請費用を提示することで、暗黙のうちに母国に帰国するよう促しているわけだ。金額の問題だけであれば我慢もできるが、問題は大学又は研究機関で研究を予定している外国人研究者に対して、1年以上のビザが発給されなくなってしまったということである。アカデミックビジタービザの延長は一切認められておらず、延長申請をおこなっても却下されてしまうのである。滞在2年目以降は大学又は企業の研究機関と雇用関係を結び、就労ビザに切り替えない限り、イギリスにおける外国人研究者の長期在外研究は事実上不可能となってしまった。

 

 では、在留資格を得るために雇用関係を結ぶとどうなるか。日本の学術支援機関より研究費を得ている場合、全額を一旦大学の口座に入金し、そこから月々配当を得ることになる。この際高額の在籍料を請求されることになるが、この額はどこにも公示されておらず、全ては受け入れ先研究機関の良心に全面的に依存することになる。不当に高額な在籍料として急遽請求されても文句は言えないわけだ。これがどんな深刻な問題を引き起こすかについては、年間12000ポンド(約240万円)の給与の謳い文句に惹かれてポストドクターとして渡英した私の知人が、雇用関係を結んだ途端に10000ポンド(200万円)の在籍料を請求されて、「これは詐欺だ!」と叫んだことでもお分かりいただけるだろう。在籍料は金額が指定されていないばかりか、不可解なことに『交渉も可能』なのだそうだ。重要なことは在籍料が授業料を目安に設定される場合が多く、EU諸国以外の外国人学生の授業料がイギリス人学生の実に4倍であり、医学部、法学部、経済学部の大学院課程については年間12000ポンドにも達するということである。EU諸国以外の研究者が法外に多額の在籍料を課せられる危険性が高いことは念頭に入れておく必要があるだろう。このためイギリスにおいて長期在外研究を行っている外国人研究者は殆どがEU諸国出身であり、キャンパス内で闊歩するアジア、アフリカ、中東諸国出身者は、実は殆どが学生である。結局『外国人研究者は要らない』というスタンスが見え隠れしているわけで、体の良い外国人締め出し政策が網の目のように張り巡らされていることに驚かされる。

 

 かつて世界の海を制覇し、『陽の沈まない国』として繁栄を極めた大英帝国ではあるが、私の目に映るのは息も絶え絶えの斜陽の国そのものである。増え続ける移民問題や深刻化する国際テロを背景に、イギリスにおける外国人研究者の受け入れや諸外国との学術交流は今後益々難しくなることが予測され、この国は一体どうなってしまうのだろうと外国人ながら心配になってしまう。退行と衰退への道をひたすら歩みたいのだろうか。ただイギリスには大変申し訳ないが、現状を鑑みた時、決して日本人研究者に対してお勧めできる研究環境ではない。幾つか選択肢があるならば、イギリス行きは回避するのが賢明であろう。

 

『ふるさとは遠きにありて思うもの』(室生犀星)

 

 異国にあって、郷愁を込めて祖国を振り返る時、日本がイギリスの現状から何かを学び、同じような過ちを犯して欲しくないと強く願って止まない。

 

『築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。』(ウィンストン・チャーチル)

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