24巻 部会からのお知らせ

【24巻、お知らせ-被服衛生学部会夏季セミナー報告】

部会セミナーにまつわるあれこれ

 

実践女子大学 山崎和彦

昨年2003年8月25日、本学にて第22回被服衛生学部会セミナーをお世話させていただいた。年度が変わって初夏となり、編集委員長の楠先生より夏季セミナーの報告をすべしとの命が下った。中味についてはセミナー要旨集および部会ホームページに掲載してあるので、以下、外回りについて綴る。

1)部会ホームページ
私は部会ホームページを開設する義務を負っていた。横井麻理君の頑張りで格好が整ったので、我らが親学会と関東支部にリンクを依頼した。当時、関東支部の掲示板では、匿名での投稿が許可された直後であった。そこで私は「学問の府であるからには匿名の掲示板に堕してはならぬ」という意見を掲示した。すると鋭い反応があり、先方は匿名こちらは実名で議論するというヘンな状況となった。匿名vs実名ではそれだけで後者に分があるというものだ。やがて匿名氏は去って行かれた。
先日、田中恭子君によって部会ホームページが刷新された。ところで彼女のパソコンでみると文字列は揃っているのに、我がパソコンで開くと乱れが生じる。いずれ解決せねばならぬが、この段落の3行をもって納得の行く方がおられるとすれば、つまり、そういうことです。

2)準備委員会について
本学学長の飯塚先生には、かつて学会の年次大会はじめ諸会合の世話役がしばしば回ってきた。そこで自ずと私は下に就かせていただいた。そして昼食やお茶などでの雑談を通じて、物事が決まって行った。つまり準備委の会合など特に開く必要はなかったのである。
先のセミナーの計画についても、皆でお茶を飲みつつ、それでいいんじゃないですか、といった風に進めて行った。私にとってはこれまで通りのことであったが、皆が集まり役割分担をもって事に臨むのが関東地区の流儀であったらしい。よって多くの先生方に御心配をおかけした模様である。とりわけ斉藤秀子先生にはいろいろと御助言を賜り感謝している次第である。

3)企業による報告
学会風景において私がいつも気になるのは企業展示である。コーヒーブレイクこそ勝負時であるのだろうが、参加者の多くが素通りして行く。そこで「企業各社による報告」を設けた。終日廊下にたたずむより檀上で数分間にわたり説明する方が効率がよく、これを聴く側も居ながらにして情報が得られるので都合がよかろうと考えたのである。5社より御協力を得た。これに類する催しが再び開かれ、企業同士が舌戦を交わすほどの展開となるなら、ずいぶん楽しかろうと思う。

4)善意のかたまり
私は出不精であるから、会合や式典などに出席できない理由ができると嬉しい。そこで、学会や何かの集まりの折、御高齢のしかも遠方にお住まいの先生をおみかけすると感嘆してしまう。主催する側ともなれば、そうした感慨はひとしおである。セミナー要旨集の巻頭にて述べたことであるが、我らが部会セミナーの印象は「善意のかたまり」である。行きたいというより、行ってやらねばとお考えになる先生方が多くおられるのではなかろうか。それに加えて、夏の終わりという開催時期が絶妙であるのかも知れない。

5)快諾とは
これもセミナー要旨集にて述べたことだが、快諾とは依頼した側における快であるとつくづく思った。そしてこれなる快は、さらに尊敬の念へと通じる。私は論語を読んだことがなく、読む予定もないが、「君子は承諾を飾らず」といった意味のことが、どこかに記されているものと推察する。故に、我とて快諾で臨むべしと思ってはいる。しかし実際はその先が問題であって、事が進むにつれ不快となることが多い。特にTV番組制作に関わると不快となる確率は9割である。貸した精密器材が宅急便で戻ってきて驚いた。緩衝材が一切無くスカスカのゴトゴト状態であった。当然のことだが相手をよく見極めねばならない。かくして善良なる私が次第に偏屈になって行くのだ。

6)懇親会について
立食パーティーでは料理が残る。人数を把握して弁当形式にすれば無駄がない。腰をおろして食するのは大和民族に似つかわしくもある。そこで結婚式のごとく座席の配置図を作成したのであった。
さて、宴席に歌舞音曲はつきものである。私は愚息に前座としてギター演奏を依頼した。あまりにも初心者であり、かつ私事を持ち込むといった大いなる愚挙であるが、彼の幼児の頃を御存知の先生方が多くおみえであるからには、お辞儀をさせることに意義があると考えたのである。
村上泉子氏はサックス、西原直枝氏はフルートを奏されることは知っていた。目標を高く掲げる方は概して舞台に上がることに遠慮がちである。そこで私はしぶとくお願いした。見事な演奏を楽しむことに加え、我らが部会は有能な仲間を擁しているといった喜びを感じた方も多いことであろう。

7)発展の余地はあるか
全ての組織に寿命があり、誕生から生長を経て消滅への過程をたどる。よって常に発展する筈がなく、そうである必要もない。然るに、あらゆる組織でこの種の議論が飽くことなく繰り返されるのは、代謝活動の為といえよう。つまり組織がいかなる状況にあるにせよ、個々の細胞そのものは常にもがき続けねばならぬ宿命にある。
細胞には突然変異やガン化もある。よって組織を健やかに維持できさえすれば、それもまた結構といえるのであろう。ところで、私は先ほどから笑いが止まらない。私自身がこの部会にとってガン細胞ではなかろうかと、ふと思ったからである。

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